ベートーヴェンの後期作品は音響的なバランスが悪いという話をときどき聞く。ピリオド楽器による歴史考証を踏まえた演奏が、その問題に対する解だと信じている向きもあるが、おそらく作曲当時の一般的な合奏スタイルの再現だけではベートーヴェンのバランスの問題は対処しきれないのではないだろうか。
彼の曲が抱える音響バランスの悪さは、基本的に細かく書き込まれた低音部の鬱陶しさからくる。聞こえにくい旋律を低弦に与えたり、単純なベースラインに徹すればよいところを細かく動きまわらせたりするわけだ。これは、そういうパートを担当する奏者には楽しいことであり、また、アンサンブルの難易度は明らかに高くなって挑戦のしがいがあったりもするだろう。だが、聴く側にとってよいことかどうかは若干疑わしい。
ベートーヴェンも、もし耳が悪くならなかったら、もっと違う内声・低音を書いたのではないだろうか。
以前、写真だったか展覧会だったかで、ベートーヴェンが使用したとされる補聴器具を見たことがある。記憶がやや不鮮明なのだが、確か、金属の棒をピアノに当て、いわゆる骨振動で音を聴くような道具だったと思う。
そういう道具がどのような患者に有効なのか知る由もないが、きっと低音の響きは彼の身体に力強く届いたことだろう。
難聴の過程では、ある音域だけ聞こえにくい・聞こえやすいということも多いらしい。ベートーヴェンの耳には、低音が、なににもまして力強くクリアーに聞こえていたのではないだろうか。そして、彼の作品にもそうした彼の頭の中で響いていた音響バランスが反映しているのではないだろうか。
ベートーヴェンの後期カルテットのアンサンブルは難しい。しかしながら、アマチュアにとって辛い難所も、そういうよんどころない事情もあるのだと考えれば、多少なりとも慰められよう。少なくとも「うまくアンサンブルできない君達の精神性の低さが問題だ」というような話ではないからだ。
その技術的難易度の高さ以上に妙に神格化されがちな後期カルテットだが、あまり深刻に考えず気楽に取り組んでみよう。