ハイドンの初期の弦楽四重奏曲はcbの追加が許容されているという、よく知られたトリビアを持ち出すまでもなく、一般的に弦楽四重奏曲は、cbを追加することに支障が無い場合が多い。原典主義が骨の髄まで染み込んでいるクラシックファンには、感覚的についていけない世界かもしれないが、cbの追加は広くお勧めしたい合奏遊びのひとつだ。
どう考えても4本で弾いたほうが味わいが深い曲もあるかもしれないが、品良く低音の補強に成功すると、曲は迫力とダイナミクスの幅を増して、陰影の深いゴージャスな音楽になる。おそらく、ベースとドラムスがしっかり入った曲ばかりを日常生活の中で聴かされているわれわれ現代人にとって、宙に浮かんだコンパクトな音響空間よりも、腹に響くサウンドのほうが体が慣れているといったこともあるのだろう。
また、後期ロマン派の作曲家達が名作弦楽四重奏曲の弦楽合奏編曲に取り組んだように、これは決して一部好事家限定の特異な欲求というわけでもなさそうだ。それゆえ、自信をもってこの分野を探求してよいものと思うのだ。
低音の補強にあたっては、cb奏者の音選びのセンスが問われる。大型の弦楽合奏曲のスコアを見ればわかるが、cbの出番は限定的でこそ効果的なのであり、vcが主旋律担当の場面で休む、単音伸ばしは頭打ちに変えるなど、我を抑えて全体のバランスに奉仕する精神が必要になる。
cb追加は、現代ポップスのアレンジ物の場合に特に顕著に効果が出る。というか、ポップスは、人の手当てができる限り、必ずベースを入れておくべきだと断言できる。
ポップスの場合、cbパートの追加は、「vcパートの小節の頭打ちだけを弾く」ということで用が足りることが多い。ここでおもしろいのは、クラシック系のcb奏者の多くは、ジャズの弦ベースのようなピチカートの連続をひどく嫌がることだ。多分、ジャズの世界では常識的な奏法のコツを知らないのか、指の皮の鍛え方が足りないか、というようなことなのだろう。